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遠い日の淡い思い出
これは私の5~6才の頃の話です。
もう古い話なので、当時の状況についてはかなり記憶があいまいになっ ていますが、不思議と
断片的にいくつかのシーンが、はっきりと脳裏に焼 きついているものですね。
その頃近所にテッちゃんという同い年の男の子がいて、けっこう仲よく遊 んでいました。
よく私んちに遊びに来て、紙でできた雑誌の付録を器用に組み立ててく れたり、
イヤな顔一つせずお人形でいっしょに遊んでくれたり…。
それに甘えて、私はわがままばかり言っていた覚えがあります。
そんなある日、たまたまテッちゃんの家の前で遊んでいた時のことです。
何の遊びをしていたかはよく覚えていませんが、おそらくまた私がダダを こねてままごと遊びか何かをしていたんでしょう。
テッちゃんが急に「オシッコ」と言って立ちあがると、通りに面した植え込 みの所に走っていきました。
小さい頃って、遊びに夢中になるとオシッコしたくてもつい忘れてしまうこ とってありますよね。
ちょうど私も少し前からオシッコがしたくなっていたんだと思います。
彼の声につられて、さっきから腰をゆすっている自分に気がつきました。
「私もオシッコ」と言うと私は彼のそばへ行き、横に並びました。
その頃はまだ恥ずかしいという意識がなかったんでしょうか、あるいは私 がおくてだったのかもしれません。
よく彼の後について行き、並んでオシッコをしていたのを覚えています。
テッちゃんのオシッコは始まっていました。
いきおいよく出るオシッコを見ながら急激に尿意がこみ上げてきた私は、
あわててオーバーオールのズボンを脱ぎにかかりました。
ところが。
分厚いジーンズ地でできたオーバーオールのズボンは幼い私にとって予想以上に手ごわく、
そう簡単にはお尻を出させてくれません。
いつものように、あとはしゃがんでオシッコの出口を緩めるだけという準備体制に入ってしまった
私の下半身は、ブレーキの利かない状態になっていました。
脱ごうとすればするほどこんがらかって、気ばかりあせる私。
でもテッちゃんの目の前でおもらしすることだけは、絶対に避けなければならないことでした。
もうちょっと、もうちょっと。
真っ赤な顔で足踏みをし、半べそになりながらも、まだちょうちょ結びも
できない私の指がもどかしく動きまわります。
一瞬私の中の時間が止まり、私の手も止まりました。
お尻のまわりがゆっくり温かくなってゆくのがわかります。
ツツーっといくすじか、そこにあってはならない液体が足を伝いました。
絶望的でした。 無駄な抵抗をあきらめた私は、無意識のうちに泣いていました。
テッちゃんがジッパーを上げながら、けげんそうな顔でこちらを見ています。
おそらく漏らした量はわずかで、昨日の雨で下の地面も湿っていたため、
まさかおもらししたとは思わなかったんだろうと思います。
それでも私はテッちゃんが何か話しかけてくるのが恐くて、そのまま泣きながら彼の家の前から通りへ出、
自分の家に向かって歩きだしていました。
歩きながら振り返ると、テッちゃんがどう対処していいのかもわからずぼう然と立ち尽くし、
いつまでもこちらを見ていた記憶が今でも鮮明に残っています。
そんなことがあってから、しばらくテッちゃんを避けることが多くなり、
遊びに誘いに来ても奥の部屋に隠れて居留守を使ったこともありました。
時折私の名前を呼びながらいつまでも庭先で待っていた彼に、心が痛んだものです。
結局テッちゃんとは小学・中学と同じ学校でしたが、クラスに友達ができる
につれ次第に話もしなくなっていきました。
今ではよその土地で住んでいるという噂を聞きますが、
彼との淡い思い 出はなぜか私の大切な宝物のように思えます。
小学校4年の時だったと思います。
もう古い話なので、当時の状況についてはかなり記憶があいまいになっ ていますが、不思議と
断片的にいくつかのシーンが、はっきりと脳裏に焼 きついているものですね。
その頃近所にテッちゃんという同い年の男の子がいて、けっこう仲よく遊 んでいました。
よく私んちに遊びに来て、紙でできた雑誌の付録を器用に組み立ててく れたり、
イヤな顔一つせずお人形でいっしょに遊んでくれたり…。
それに甘えて、私はわがままばかり言っていた覚えがあります。
そんなある日、たまたまテッちゃんの家の前で遊んでいた時のことです。
何の遊びをしていたかはよく覚えていませんが、おそらくまた私がダダを こねてままごと遊びか何かをしていたんでしょう。
テッちゃんが急に「オシッコ」と言って立ちあがると、通りに面した植え込 みの所に走っていきました。
小さい頃って、遊びに夢中になるとオシッコしたくてもつい忘れてしまうこ とってありますよね。
ちょうど私も少し前からオシッコがしたくなっていたんだと思います。
彼の声につられて、さっきから腰をゆすっている自分に気がつきました。
「私もオシッコ」と言うと私は彼のそばへ行き、横に並びました。
その頃はまだ恥ずかしいという意識がなかったんでしょうか、あるいは私 がおくてだったのかもしれません。
よく彼の後について行き、並んでオシッコをしていたのを覚えています。
テッちゃんのオシッコは始まっていました。
いきおいよく出るオシッコを見ながら急激に尿意がこみ上げてきた私は、
あわててオーバーオールのズボンを脱ぎにかかりました。
ところが。
分厚いジーンズ地でできたオーバーオールのズボンは幼い私にとって予想以上に手ごわく、
そう簡単にはお尻を出させてくれません。
いつものように、あとはしゃがんでオシッコの出口を緩めるだけという準備体制に入ってしまった
私の下半身は、ブレーキの利かない状態になっていました。
脱ごうとすればするほどこんがらかって、気ばかりあせる私。
でもテッちゃんの目の前でおもらしすることだけは、絶対に避けなければならないことでした。
もうちょっと、もうちょっと。
真っ赤な顔で足踏みをし、半べそになりながらも、まだちょうちょ結びも
できない私の指がもどかしく動きまわります。
一瞬私の中の時間が止まり、私の手も止まりました。
お尻のまわりがゆっくり温かくなってゆくのがわかります。
ツツーっといくすじか、そこにあってはならない液体が足を伝いました。
絶望的でした。 無駄な抵抗をあきらめた私は、無意識のうちに泣いていました。
テッちゃんがジッパーを上げながら、けげんそうな顔でこちらを見ています。
おそらく漏らした量はわずかで、昨日の雨で下の地面も湿っていたため、
まさかおもらししたとは思わなかったんだろうと思います。
それでも私はテッちゃんが何か話しかけてくるのが恐くて、そのまま泣きながら彼の家の前から通りへ出、
自分の家に向かって歩きだしていました。
歩きながら振り返ると、テッちゃんがどう対処していいのかもわからずぼう然と立ち尽くし、
いつまでもこちらを見ていた記憶が今でも鮮明に残っています。
そんなことがあってから、しばらくテッちゃんを避けることが多くなり、
遊びに誘いに来ても奥の部屋に隠れて居留守を使ったこともありました。
時折私の名前を呼びながらいつまでも庭先で待っていた彼に、心が痛んだものです。
結局テッちゃんとは小学・中学と同じ学校でしたが、クラスに友達ができる
につれ次第に話もしなくなっていきました。
今ではよその土地で住んでいるという噂を聞きますが、
彼との淡い思い 出はなぜか私の大切な宝物のように思えます。
小学校4年の時だったと思います。
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